炭焼記録No.5  記録:木曽野

土天井クラック調査(H15.8.4)
止め窯の間に土天井のクラック発生状況を調べた。クラックは9箇所で発生していたが、何れも縦クラックなので窯に悪影響を及ぼすものではなかった。長いものでは35cm、短いものは5cm程である。クラック総延長は167cm、土天井の面積は4.33uである。したがってクラック率は38.5cm/uとなる。この数値が妥当かどうかは土天井に関する過去のデータがないので判断できない。いずれにせよ止め窯でも天井が落ちることがなかったので容認できる範囲なのだろう。
炭出し1(H15.8.7)
今年は梅雨が長かったので8月7日は久しぶりに太陽がギラつく一日となった。8時30分初窯の炭出しを開始した。明石さんが窯口の石を取り除くと薄暗い窯内が見渡せた。止め窯から一週間も過ぎていたので窯内の火照りはほとんどなく外気とおなじ28℃だった。昔の炭出しは次から次に炭を焼くため窯内が熱いうちに作業に入る。したがって熱さよけに綿入れを着たという。今朝もお婆ちゃんが心配して綿入れを二枚用意してくれた。しかし使わずにすんだ。
炭出し2(H15.8.7)
窯内に入ると、窯づくりのときギッシリ詰めてあった炭木が小窯のほうに倒れて随分少なくなっていた。テンジョーイの時の筵が炭化して炭の上に覆いかぶさっている。原木の種類によっても違いがあるのだろうが一体どの程度に小さくなってしまうのだろうか。
炭出し3(H15.8.7)
はじめに明石さんが窯の中に入り炭出しの作業をする。炭は葦簀で作った搬出用モッコに載せて窯の外に出す。昔は炭俵で作ったそうだが、今は炭俵がないのだ。炭は窯口に近いところは燃えてしまっていたりスボタがあったりして焼け方が悪い。これは初めから予想できたので炭としては価値の低い雑木を立てておいた。小窯に近づくにしたがって良く焼けていた。この部分にはカシやナラなどの良質炭材を立て並べた。出した炭は後で製品の区分がしやすいように順序よく並べた。
炭出し4(H15.8.7)
出した炭と窯をバックに記念撮影。心配された初窯は天井が落ちることもなく安堵した。炭材を寄付してくださった方々、テンジョーイで労力をいただいた方々、ご近所の方々、湯河原町の皆様、そして南無土窯半兵衛様、皆様方に心から感謝を申し上げます。
炭出し5(H15.8.7)
炭を出し終わってから窯内を確認した。土天井は粘土ボタ餅が亀甲状の目地を浮かび上がらせてきれいにドームとなっていた。巨大な素焼きの陶器が出来上がったのだ。クラックはあったが心配するほどではないようだ。クラックは窯口に近い方に発生が多かった。これは乾燥のために火を燃やし続けたため、叩きが十分でないうちに乾燥してしまったためと考えられる。側壁(腰)の部分はベトの剥がれが少しはあるが構造の欠陥となることはなかった。土窯は無事完成を見た。今後は水に十分注意すれば長く使用に耐えてくれるだろう。
炭出し6(H15.8.7)
炭出しが終わると二窯目の炭材の窯入れを行った。昔から土窯は窯内の湿りを恐れるため、すぐに次の火入れ準備をしたという。幸いに炭材を豊富にいただいてあったので木拵えは出来ており、引き続き炭木の詰め込み作業を行った。
炭出し7(H15.8.7)
窯から出した炭がうずたかく積まれた。細めのカシは良く焼けていた。二窯目に火入れをして、窯の前では炭を箱詰めにするための切断作業だ。おなじ寸法で切断できるように切断台に載せ鋸で挽く。炭はアルカリが強いため手の皮膚が薄くなってしまう。私は軍手をして作業をしたが、軍手の先が破れてくるのだ。
炭出し8(H15.8.7)
炭は17cmに切断した。これは10号の段ボール箱に詰めるための寸法である。段ボール箱にはキッチリ3kgの炭が入った。箱詰め用の炭はほとんどがカシでナラが少しあった。初窯の成果は、3kg入り段ボール箱が50箱で150kg、雑炭が米袋9袋で90kg、合わせて240kgあった。昔は炭俵1俵が4貫目(15kg)だったので16俵出たことになる。ほぼ考えていたとおりの成果だった。
炭出し9(H15.8.7)
炭を詰めた段ボール箱には「初窯半兵衛炭」と「燃料用木炭使用上のご注意」を添付した。初窯の炭は、炭焼に御世話になった方々へ御礼の御挨拶代わりに贈呈させていただいた。
初窯の反省点は、煉らし(精煉)が急激だったため炭木の下の方に亀裂が生じてしまったこと、炭材が春先に伐採されたので炭のしまりが少し甘くなったことなどである。しかし製品としては何ら遜色はないものであることを御報告する。

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